死後に認められる仕事

006死後に認められた代表選手といえば、フィンセント・ファン・ゴッホを思いつきます。

有名な「ひまわり」など、一枚何億円もする作品を作りましたが、生前は一枚も売れなかったとか。

ゴッホは、作品が売れなくて、おそらく失意のうちに亡くなったと思うのですが、売れたくないというアーティストも存在するようです。

アバンギャルドの現代美術家には、「評価されて売れるようになったら、もはや現代美術ではない。」と考える人もいるようで、売れっ子なんてとんでもないんですね。100年後に認められればよい、と考えて、生活保護を受けながらも、売れない作品を作り続けている人たちもいるんだということです。

門外漢には負け惜しみに聞こえますけど、信念を持っておられるんですね。

(しかし、その理屈で言うと、死んだ後にせよ、認められた時点で終わり、ということになるんじゃないかなあーと思ったり。)

私なら、せめて死後にでも認められて、子孫を喜こばせるくらいにはなりたいな、と思います。理想は、生きているうちにブレイクして、ウハウハしたいですが、そんな俗な根性では真の芸術とはいえないようです。

さて、芸術にかぎらず、生きているうちに日の目を見ない仕事というのはありますね。ディズニーはディズニーランドの完成を見ることなく世を去り、坂本龍馬も明治維新の前に暗殺されてしまいました。他にも政治家、軍人、科学者、経済人、などなどいろいろおられるような気がします。

名前が後世に残っているのは、業績が死後に花開いて認められたか、志を受け継いだ人々ががんばって完成、発展させたか、というところですね。

やったことは無駄ではなかった、世の中の役に立った、ということでしょう。

自分自身がそれを確認できないのは残念ですけど、やり切るだけやりきって、後は信じて死んでいく、というのがいいんじゃないでしょうか。

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