老衰で死のう

老衰で死ぬ人が多いと、医療費が抑えられるというニュースがありました。

男性の老衰死の全国最多が、神奈川県茅ヶ崎市だそうで、老衰の死亡率が全国平均の2倍以上。ついで2位が千葉県市原市、3位が三重県四日市市、4位、静岡県浜松市、5位、神奈川県横須賀市になっています。

逆に老衰死が少ないのが、大阪府茨木市で全国平均の3分の1以下。ついで、同じく大阪の、寝屋川市、枚方市、吹田市、5番目に長崎県長崎市ということです。

私は大阪人ですが、たしかに、知り合いが老衰で亡くなったという話は、聞いたことがなかったです。

というか、老衰という言葉が現代社会に残っていたことに驚いた次第です。

老衰とは

老衰とは、一言で言えば、自然死ですね。

年老いて、弱って、自然と生命維持能力が止まった、というものです。

特に治療を必要とする病気になっているわけじゃないのですから、医療費はかかりませんわね。

日本人の死因は、多い順に、ガンが全死因の4分の1、それから、心疾患、肺炎、脳血管疾患となっており、その次の5番目に老衰が来ます。2016年の統計では、全国で1,307,748人の死亡者のうち、92,806人が老衰だそうなので、7%ですね。

意外と多い印象です。

その次が、事故、心不全、自殺、その他、と続くそうです。

私の介護職の経験では、人工透析を受けていて、具合が悪くなって入院してそのままお亡くなりの人が多かったです。糖尿病の合併症ですね。

ま、介護を受けているような人は、老衰死は少ないでしょう。

なぜ、大阪に老衰死が少ない?

私自身が大阪に住んでおり、身近に老衰で亡くなった人を聞いたことがないので、とっても気になります。私はぜひ、老衰で死にたいと思っておりますもので。

それにしても、そんなに地域格差があるもんなのでしょうかね?

自然に囲まれた田舎暮らしだと、日々ヒーリングされ、人間関係も充実しており、病院にもいかないから病気も発見されず、自然に弱って亡くなるって感じでしょうか。(茅ヶ崎が田舎なのかどうかは知らないですけど。)

大阪は、ストレスにまみれていて、食生活も悪く、水も空気も悪いということもあるかもしれませんが、なにかにつけ病院通いの習慣づけがされており、悪くないところまで病名をつけられ、薬漬けになって、副作用で苦しみ、延命治療の末に、死ねば死因が特定されて、自然死じゃなくなるってことは、ないでしょうか?

このあたりの研究があるのかどうか知らないですが、だいたいデータというものは、計測の仕方によっていかようにも変わるものですから、あんまり信用しすぎるのも良くないと思っております。

大阪人は皆不自然死ってのも、疑わしいなという気はしてます。

でも、病気にならねば(病気だと判定されねば)、医療費はかからないというのは、本当のところでありましょう。

私も、痛いとか、苦しいとかはナシで、不自然な延命治療もなく、自然と安らかに、朝、起きてこないと思ったら、死んでた、というような死に方をしたいと思います。

老衰で死ぬ方法

だんだんと食欲が減り、体重も減り、眠る時間が長くなり、やがて眠るように心臓が止まるというのが老衰での亡くなり方です。

体の機能をすべて、きれいに使い切るようなかんじですね。

それには、まずは長生きする必要がありましょう。それも、健康な状態での長生きです。病気になって治療を始めれば老衰じゃなくなります。

健康で長生きをするためには、生活習慣が良いことがまずは第一条件でしょう。

内蔵に負担をかけない食生活、適度な睡眠に適度な運動、精神的に満たされていることですね。

精神的に満たされる人は、人間関係に恵まれていることが多いです。愛される年寄りになっておきましょう。

愛されるためには、自分から愛情を振りまいておかねばなりません。つまり、わがままじゃダメってことです。

社会の中で、役割、ポジションがあるってことも大事で、必要とされなくなったら、早死します。

お膳立てを周りの人に任せてないで、自らアクティブに動くのがよろしいかと思います。老衰死直前まで活動的でありたいと、私は思っております。

恐怖は早死のもと

そして、医者には、やみくもにかからないというのがいいんじゃないかと、私は思っております。

医者にかかると病気にされます。奥さんが入院したついでに検診を受けたら、なにか不具合が見つかって、ほっときゃいいのに治療生活に入って、副作用やら何やらで、たちまち精神的にもやられ、死期を早めたっていう人もおられます。

知らなければ、長生きできて、自然死できたかもしれないですね。

恐怖が人間を早死させます。

介護職をやっていますと、利用者が具合悪そうなら、すぐに病院に連れていきますけど、あれは責任逃れのためです。

とりあえず、病院に行きましたと記録を残しておけば、仕事はやったといえますので。

これが、家族だったりしたら、病院に連れて行くことで死期を早めるかもしれないし、幸せな末期を奪うことになるかもしれません。

延命治療もそうですけれど、治療って、するほうがいいのか、放置がいいのか、選択肢が残されている方がいいと思いますね。

透析を例にだして悪いですけど、年取って糖尿病2型から来る腎不全で透析治療を始めると、透析のために生きているような感じになります。

死なせてくれ、と、何度言われたことやら。

死期を延ばして苦しむほうがいいのか、自然に死ぬのがいいのか、なかなか難しいところですけど、天命はどっちなんだと考えたら、不自然に長く生きるより、短くっても自然に死ぬのがいいんじゃないかという気もします。

自分の命は自分だけのものと考えると、ちょっとでも延ばしてほしいような気もしますが、先祖から子孫まで綿々と続く中での「つなぎ」だと考えたら、適切な時期があると思うのですよね。

それを無理くり操作するのは、よろしくないという気もしています。死ぬべきときに死ぬっていうのが、いいんじゃないかと思います。

老衰じゃなくても安らかに死ねる

ところで、老衰以外の死に方では、安らかに死ねないのかといえば、そうでもないでしょう。

意外とガンで亡くなる人って、死を受け入れて穏やかに亡くなるという話は聞いたことがあります。

痛みをクスリで緩和しつつ、死を迎える心の準備をしながら、家族に看取られて亡くなるというような。

脳卒中でぽっくりという場合は、突然死て感じですが、これも苦しみが少なく、悪くないなという気もします。(なったことがないのでわからないですが。)

私は、安らかに死ぬためには、やり残しがないように生きておきたいと思っております。

不慮の事故死ってこともあるわけで、やり残していたことがあると無念です。

毎日、やることリストを消しながら、精一杯生きていきたいと思います。自分の代でできなければ、子に伝えておきたいです。

満足して生ききったならば、老衰するまで成し遂げたことがなかった人生より、良いんじゃなかろうかと思っております。

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