遺影の思い出

0-72毎年、年賀状の時期にYさんというおばあさんを思い出します。年賀状はご主人からいただくんですけど。

ご夫婦は、私が介護の仕事をはじめてすぐのお客さんで、10年近くお付き合いがありました。病院の送り迎えのほか、観光旅行などで介護タクシーを使ってくれていました。

京都嵐山観光を依頼された時は、なにしろ初めてだったので、現地のバリアフリー具合を下見に行ったり、採算度外視でがんばりました。(ちなみに嵐山は当時、ぜんぜんバリアフリーじゃなくて、車椅子では大変でした。)

日帰り旅行をなんどかお世話させてもらいまして、お食事の介助や、カメラマン係もやったり、いい思い出を作ってもらえたと思います。

10年の間に、Yさんはだんだん体も弱ってこられて、車椅子での上体の保持も大変というようになってきました。視力や聴力も衰えてきて、ほとんど見えず、聞こえない状態。

あるとき、金婚式ということで、お食事会と記念撮影の付き添いを依頼されました。金婚式といっても、親戚関係など身寄りはなく、ご夫婦二人だけです。息子さんがおられたのですが、若くして亡くなられていて、息子さんと私をだぶらせていたのかもしれないです。

お食事会に選んだのが、よりによってかに道楽。なぜだ~と心のなかで叫びましたが、蟹が食べたかったのでしょう。蟹料理の介助は大変なんです。身を取り出して、ポン酢につけて、服を汚さないように食べてもらわないといけません。写真撮影が食事の後、というスケジュールだったので、余計に気を使いました。

ご主人が手伝ってくれるという期待はしてなかったんですが、それどころかご主人の蟹剥きのお手伝いも必要で、ひとりでふたりを介助しているような状態でした。

その後写真撮影は、スタジオに行きました。車いすで入れるスタジオは意外に少なくて、事前にだいぶん探しました。

車椅子のYさんと、ご主人と寄り添って写してもらうんですが、Yさんが、なにしろまっすぐ座っておられず、しかたがないので、クッションをいっぱい入れて、私が横から支えておりました。ハイチーズの合図と同時に、私が構図から脱出して、シャッターが降りたら素早く支えに戻るという離れ業でした。

クッションは、レタッチで消せるとのことで、出来上がった写真は、顔色もいい、良いかんじのご夫婦に写っておりました。さすがプロの仕事ですね。

やがてYさんは入院生活になり、いよいよ危ないという時に、夜中にご主人から電話があり、病院に駆けつけました。最後のご挨拶をして、その明け方にYさんは亡くなられました。あんまり介護職員とその利用者の関係で、そういうことはしないんですけど、私も特別な感情を持っていたように思います。

遺影には、金婚式の時の写真が使われました。長い闘病生活を経た実際のお顔より、ずっと元気そうなお顔の写真で、わざわざスタジオまで行った甲斐があったなあと思ったものでした。

今では、ご主人とは年賀状のやりとりだけなんですけど、お元気かなと、気になったりもします。

[遺影] ブログ村キーワード

コメントを残す